岡本クリニック日記

岡本クリニック メンタルケア室    岡本慶子 精神科医

オープンダイアローグとサリヴァン(3)何故有効か

サリヴァンのいう前青年期的同性同世代関係には、間主観性とか共通感覚とかいったものを回復させる力がある。病棟やデイケアで実際にそれを見た私がそう言ったら、故小澤勲先生は「そこから、統合失調症とは何なのかに考えを進めてください」と言われた。2003年のことだ。私にはとても手の届かない課題だった。

サリヴァンの技法においては、急性期の患者さんの傍らで二人の看護師が話し合うのも、前青年期的病棟運営も、ひとつながりだ。
オープンダイアローグがなぜ有効なのか。
もしそれが分かったら、小澤先生の宿題への答えに近づく。

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オープンダイアローグとサリヴァン(2)

サリヴァンによるオープンダイアローグ的治療は1920年代に行われている。おそらく周囲は「なぜか分からないけど患者さんがよくなる」と見ていただろう。
でも今なら、何故それで統合失調症がよくなるのか、その機序にちょっとは近づけるかもしれない。

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オープンダイアローグとサリヴァン(1)

オープンダイアローグについて読んだとき、まず思ったのはサリヴァンだった。

以下、中井久夫著「精神科治療の覚書」日本評論社 p.50から引用。

「入院第一夜の重要性はサリヴァンがとくに強調している。彼自身が加わることもあったというが、とにかく二人の看護師がつきそって不安の軽減につとめたという。
そして患者との対話よりも、治療者同士の対話を患者がきくという形をとったらしい。」
(引用ここまで)

入院と自宅の違いこそあれ、統合失調症の急性期に行われるオープンダイアローグと極めて似ている。

サリヴァンは今なお新しい。
前頁で述べた同病同世代同性集団の治療的意味も含めて、共感的人間関係の場が統合失調症の回復を助ける事実はもっと注目されていい。

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(文献)
*斎藤環 オープンダイアローグとは何か 医学書院 2015
*Sullivan,H.S.:Conceptions of Modern Psychiatry.W.W.Norton and Company Inc.,New York,1953.
(中井久夫,山口隆監訳:現代精神医学の概念.みすず書房,東京,1976.
訳者あとがきにサリヴァンの治療チームが詳述されている。

同世代小集団編成とサリヴァン

かんたん統合失調症教室は同世代小集団編成で実施している。
これまでの臨床経験から、統合失調症を経験した人同士の同世代(同性)同士の共感的な関係が、回復にとって大切な役割を果たすのを見てきたからだ。
それはとくに若い患者さんにはっきり表れる。

これにはサリヴァンの裏付けがある。
サリヴァンは人の発達における前青年期の同性同年輩の親友関係を重視し、自分の病棟を前青年期社会の雰囲気になぞらえて運営し、それが統合失調症の回復のために必要な経験を患者さんに提供できると考えていた。そして、看護者は予後のよい初期統合失調症を経験した人が適任だと考えていた。(下記文献)

私の臨床経験に照らして、これは納得できる。
同病を経験した同世代(同性)の交流には、統合失調症の回復を助ける力がある。

もう一つ、サリヴァンの慧眼に驚くのは「オープンダイアローグ」に関することだ。
これは次頁に。

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(文献)
Sullivan,H.S.:Conceptions of Modern Psychiatry.W.W.Norton and Company Inc.,New York,1953.(中井久夫,山口隆監訳:現代精神医学の概念.みすず書房,東京,1976.

訳者(中井・山口)によるあとがきが分かりやすい。






「ときどき妄想対処講座」テキスト公開

回復期に入っても、ときどき現れる被害関係念慮に苦しむ人は多い。
これまでいろいろな方法を取り入れてきたけれど、
今年は新たに4回シリーズの「ときどき妄想対処講座」を実施。
そのテキストをホームページに公開した。

テキストづくりに当たって重視したことは二つ。
一つは、当事者の経験を中心に据え、体験を共有できるようにすること。
もう一つは、先人が積み上げた精神病理学の成果を治療に生かすこと。

昨今輸入されている統合失調症の認知行動療法のマニュアル類はとても参考になるけれど、
臨床に照らして違和感を覚えることも多い。

今回テキストを書きながらその違和感を埋めるのに、
昔のドイツの精神科医コンラートの著作(中井久夫ら訳)にずいぶん助けられた。
 

自分のせいか、他人のせいか

日々、患者さんたちの言葉をきく。
そこから見えてくる、症状や苦しみのありようと、
統合失調症の認知行動療法の既存のマニュアルとのギャップにとまどうことがある。
とりわけ「妄想をもつ人は、よくない出来事を他の人のせいにする傾向がある」という、よくある表記。

見る角度によってはそうなのかもしれない。
しかし私が患者さんからよく聞くのは、こうである。
「何でも自分に原因があると思っていた」。それが実感だろう。

それで思い出されるのが、コンラートの「アポフェニー」だ。
直証的にことがらが「私」に関係しているという意識のあり方。

既存のマニュアルによって集団治療をうける人達の中には、
私と同じような違和感をもって、
そして私と同じようにそれをなかなか言葉にできない人がいるのではないだろうか。

折々のことば 家族だから理解できる感情

朝刊を開くと、恩師 故小澤勲先生の言葉が目に飛び込んできた。 

「痴呆を病む人たちは、一つ一つのエピソードは記憶に残っていないらしいのに、そのエピソードにまつわる感情は蓄積されていく 小澤勲」
 (
2016.4.14 朝日新聞朝刊 折々のことば 鷲田清一

鷲田はこう続ける。「だから、多数の事例から「わけ」を知る医師より、長くそばで生きてきた人のほうがその感情を深く理解できることもある」。

 

家族のほうが、専門職よりも深く理解できる感情がある。統合失調症でも同じだ。

精神科の専門職は、症状をも「性格」とみなして患者に否定的な気持ちを抱く家族としばしば出会い、「素人だから症状のことが分からないのだ。だから性格だと間違えてしまうのだ」と考える。
 そして一生懸命家族教育をしたりする。

 専門家だから、症状と性格を腑分けして見せる技術は必要だ。それで家族が楽になる部分も大きいから、そのこと自体は間違いではない。
 しかしどこかに専門職特有の「上から目線」が潜んでいたりする。

 

 私はこう思う。

家族は症状の知識がないから「性格」と見なすだけではない。
 本人の性格を知り尽くしているから、症状と渾然一体となって現れる「性格由来のもの」を感知してしまうのだ。それゆえ「症状だから」と流すことができないのだ。

その背景には、家族しか知らない痛みを伴う歴史がある。

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