朝刊を開くと、恩師 故小澤勲先生の言葉が目に飛び込んできた。 

「痴呆を病む人たちは、一つ一つのエピソードは記憶に残っていないらしいのに、そのエピソードにまつわる感情は蓄積されていく 小澤勲」
 (
2016.4.14 朝日新聞朝刊 折々のことば 鷲田清一

鷲田はこう続ける。「だから、多数の事例から「わけ」を知る医師より、長くそばで生きてきた人のほうがその感情を深く理解できることもある」。

 

家族のほうが、専門職よりも深く理解できる感情がある。統合失調症でも同じだ。

精神科の専門職は、症状をも「性格」とみなして患者に否定的な気持ちを抱く家族としばしば出会い、「素人だから症状のことが分からないのだ。だから性格だと間違えてしまうのだ」と考える。
 そして一生懸命家族教育をしたりする。

 専門家だから、症状と性格を腑分けして見せる技術は必要だ。それで家族が楽になる部分も大きいから、そのこと自体は間違いではない。
 しかしどこかに専門職特有の「上から目線」が潜んでいたりする。

 

 私はこう思う。

家族は症状の知識がないから「性格」と見なすだけではない。
 本人の性格を知り尽くしているから、症状と渾然一体となって現れる「性格由来のもの」を感知してしまうのだ。それゆえ「症状だから」と流すことができないのだ。

その背景には、家族しか知らない痛みを伴う歴史がある。