岡本クリニック日記

岡本クリニック メンタルケア室    岡本慶子 精神科医

恩師

松本雅彦先生のご逝去に

恩師・松本雅彦先生が昨年夏、ご逝去された。

昨秋のこと。
待ち合わせの時間つぶしに立ち寄った小さな書店の一角に
遺作となった「日本の精神医学この五〇年」(みすず書房)があった。
ご逝去後の出版である。

精神医学の専門書が置いてあること自体、意外に思える規模の書店。
先生はマスコミに売名する方ではなかったから、世間に売れる本ではない。
それがこちらを見るように、正面を向けて陳列されていた。

昔から論文を書かない私に、繰り返し書くようにと促してくださった。
最近は私に黙って、出版社に当院の資料をわざわざ送っておられた。

控えめなのに実は教育熱心な先生が、気まぐれに降りてきて下さった気がした。

松本雅彦先生のご著書から
心は心でしか分からない



















 

心は心でしかわからない

恩師・松本雅彦先生が昨年ご逝去された。
ずっと前に書いた、M先生である。

遺著 「日本の精神医学この五〇年」 松本雅彦著 みすず書房 2015年 から・・・

(以下引用)
「イエスかノーかの二分法にはすでにこの時点で評価者の主観が強く入り混じること、このような二分法を積み重ねてゆくことが真に客観的な評価になりうるか・・・など、この種の操作方法から生まれた症状評価尺度表の功罪…(後略)」 p.156

「昨今Evidence Baced Medicine(EBM(エビデンスに基づく医療))がしきりに喧伝されている。統計学の素人ではあるが、このEvidenceがいったいどこから導き出されるのか、それらが本来の意味での科学的客観性をもちうるのか、どうしても疑わざるをえない。」 p.169

「心は心でしかわからない。」 p.206
(引用ここまで)

かつて精神医学では主観的評価の弊害がいわれ、「客観的」「エビデンス」の名のもとに、評価の数値化、統計化、横断面重視、細分化した個別症状評価への流れがおこった。
そこで見誤ったり見失ったものがどれだけあるか、今はまだ分からない。

先生は最後に渾身の異議申し立てをして逝かれた。

志のある仕事

小澤勲先生はときおり「志」という言葉を口にされた。

見かけの整った仕事でも、それが感じられないものには「志が低い」と切り捨てるように言われた。
温厚な先生が厳しい表情を見せる瞬間。

小澤先生の志は晩年に向かって益々明らかになり、現在の認知症分野にしっかり根付いている。

私などは志の形が自分の目にもはっきり見えない頼りなさだけれど、それを持てとの教えだけは忘れていない。

技術としてのやさしさ

恩師故小澤勲先生の言葉に「技術としてのやさしさ」がある。

認知症の患者さんに接するにはやさしさが必要だ。
天性のやさしさをもつ人は自然に患者さんと心通わせる。
しかし自分のように天性のやさしさをもたない者は、異常行動の背景にある物語を読み解く「技術としてのやさしさ」を身につけるしかない、と。

「天性のやさしさをもつ人っているんだよねえ~」と、ちょっとくやしそうに笑っておられた。

私もまた天性のやさしさに欠ける者として、この言葉は身に染みた。
さらに私には技術としてのやさしささえ、なかなか身につかない。





小澤勲先生

研修医時代、故小澤勲先生の勉強会に入っていた。
当時京都府立洛南病院で認知症にとりくんでおられた先生は、児童から成人、自閉症から統合失調症やうつ病まで広範な臨床経験から紡ぎだされる知恵を、惜しみなく若手に与えてくださった。

横断面にとらわれる近年の精神医学を批判し、「病前性格ー発症状況ー経過のセットで考えよ」と教えてくださった。
それはとりわけうつ病の臨床に有用だった。表面的・横断的な症状が入り組んでいてもその本質にうつ病が見えれば、薬物選択や治療方針が的確になる。

「認知症患者さん同士のかみあわない会話は「偽会話」と呼ばれるが、本当は感情レベルで通じ合っていて「偽」ではない」と、今では知られたことだが、当時から言っておられた。

大学の事例検討会で私が報告するとき、何のついでだったのか、臨席してくださったことがある。
当時の教授木村敏先生や、もう一人の恩師松本雅彦先生もおられ、今では考えられない豪華な検討会。
事例の経過をめぐる木村先生と小澤先生のやりとりが視点の違いから緊張をはらみ、若かった私は困惑してしまった。

晩年は数々の貴重な出版を重ねられた。
いただいたメールに「病をおしてというような悲壮感はありません」とあった。
その凛とした響きを思い出す。











無題

尊敬する先輩を見送った。
とりわけ困難な臨床現場に自ら飛び込み、生涯を走り続けてきた方だ。
病床での最後の著作にその志を託して。

M先生

恩師M先生は、決して偉そうにされない。
患者さんに対しても私たち若輩に対しても、いつも静かに控えめに接してくださる。

そんな先生が珍しく、あるテーマで臨床論文を書くようにと何度も促してくださったことがある。昔、大学病院にいた頃だ。
筆不精でなかなか手をつけない私に、先生はたびたび「あれ、書いてる?」と尋ねてくださった。
粘り強い促しのおかげで、いつかは書こうと思いつづけることができた。そして10年もたって、ようやく書き上げた。そんなにお待たせしたのに先生は快くご校閲くださった。そして、そのテーマは以後の私に大きな影響を与えた。

70代半ばになられた先生は、今も私を思いがけない出会いに導いて下さったりする。
人生の要所を方向づけて下さるご指導に、感謝は言葉につくせない。

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